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スエコザサの語源と由来、例文、英例文

この記事では、「スエコザサ」の語源や由来について解説しています。
語源に関する様々な説を紹介するとともに、例文や英語例文(日本語訳付き)も紹介します。
そのため、「スエコザサ」という言葉に興味がある方は、ぜひ本記事を読んでみてください。

運営者(とみちゃん)

熊本県生まれ。国立高専→国立大学院(情報工学修士)。当時は小さなベンチャー企業2社(現東証プライム市場上場 アカツキ、現JASDAQ市場上場 Speee)、時価総額数兆円規模の大手企業にてエンジニア・インターンシップを経験。Speeeの開発インターンシップ evolution (上級編) にて優勝し、Speee賞を受賞。大学院では、国内最大級のシンポジウムである「情報処理学会 DICOMO2014」にて最優秀プレゼンテーション賞・優秀論文賞を、ワークショップでは「情報処理学会 DPSWS」にて優秀ポスター賞を受賞。その後、大手企業本体の研究所でソフトウェアの研究開発職として従事し、ソフトウェアの上レイヤー~低レイヤーの幅広い開発経験を積み上げる。離婚を経験し、精神的苦痛を和らげるために横浜市から熊本市を電動アシスト付き自転車で走破(1,350km、総日数11日、内雨天時の2日は休憩日)。その後精神面が回復し、現在は子会社の役員室に所属し全社のDXを加速させる仕事に従事しつつ、複数のブログを運営中。

目次

スエコザサの語源と由来

スエコザサとは、日本の本州の宮城県から北に生息している植物になります。
生息しているといってもその数は少なく、ごく稀に生息しているものです。
イネ科アズマザサ属のササ類の一種で、アズマザサ(東笹)の変種と考えられています。

ササには非常に多くの種が存在しており、アズマザサ属にはその他にもトウゲザサやサドザサ、タンゴシノチクなど色々な種類があります。

スエコザサの語源は、発見者である牧野富太郎の妻である寿衛子に由来します。
牧野富太郎は日本を代表する植物学者で、日本の植物学の父と呼ばれた人物です。
多数の新種を発見し、日本各地を巡って膨大な数の植物標本を作ったといわれています。
牧野日本植物図鑑など多数の著作も残しており、牧野富太郎の誕生日は植物学の日にも制定されました。

出身地である高知県には、高知県立牧野植物園があります。身近にあった植物は全て研究の対象で、「雑草という草はない」という言葉を残しています。

スエコザサも牧野富太郎が発見したササの新種です。
妻の寿衛子と結婚したのは20代後半の頃のことでした。
当時、牧野富太郎は郷里である高知県と東京を行ったり来たりしながら植物の研究を行っていました。
27歳の時に新種の植物を発見し、植物学雑誌に発表しています。日本で初めて新種のヤマトグサに学名を付けたのも牧野富太郎です。また、世界的な新発見も果たしていました。
世界的に点々と分布しているムジナモを日本で発見し、世界的な学術論文で報告したのです。それにより牧野の名前は世界に知られるようになりました。

牧野がスエコザサを発見したのは、1927年のことです。妻の名前をとって名付けました。
牧野の妻である寿衛子は、翌年病によって亡くなっています。夫を支え続けた人生で、その献身に感謝して妻の名前を献名したといわれます。
実際、経済的には非常に苦労が多かったようです。

夫である牧野は、研究に資金をつぎ込み生活は苦しかったといいます。
生家は高知県で造り酒屋を営んでいましたが、研究に資金をつぎ込むため家業は大きく傾いていました。
牧野は31歳の時に東京帝国大学で助手となり、その給料で家族を養っていました。
しかし、研究に必要と思えば高価な書籍は躊躇わずに購入していたので、家計は火の車だったといいます。
借金もあり、家賃が払えなくなって家を追い出されてしまったこともあります。

また、牧野富太郎は小学校を中退しており、学歴が低いことで周りからあまり評価されませんでした。
まさに研究一筋といった人生で、権威に対しても無頓着でした。
50歳から東京帝国大学で理科大学講師を務めます。東京帝国大学から理学博士を受けたのは65歳の時です。
スエコザサと新種のササに名付けたのもこの頃になります。牧野が命名した植物の名前は、2500種類以上にもなるとされます。
大学内には学歴がなく、権威にも疎い牧野を軽んじる空気もありましたが、その情熱と植物学の業績を高く評価する人も多くいました。
そのため40年以上にわたって大学に在籍し続け、植物学の発展に貢献することができたのです。

牧野と妻の寿衛子の間には13人の子どもが生まれました。
無事に成長したのは7人ですが、経済的に苦しい中育てるのは大変だったろうと思われます。
研究にお金をつぎ込む夫を支え、献身的に尽くしました。
寿衛子は子ども達を養い家計を支えるため料亭を始めますが、牧野はなんとその収益も研究につぎ込んでしまったといいます。
牧野の金銭感覚は、一般的な人とは大きく違っていたようです。
自分が働いて作ったお金を研究に費やされても、それを許してしまうのですから寿衛子は夫に対する愛があり懐が深い女性だったのでしょう。
彼女が亡くなったのは55歳の時です。
牧野は家庭を守り自分に寄り添ってくれた妻に深く感謝していました。

牧野は晩年、これまでの植物学における功績が評価され様々な賞を受賞しています。
1937年には朝日文化賞を受賞しましたし、1953年には東京都名誉都民に選ばれました。
94歳で亡くなりますが、亡くなった後には勲二等旭日重光章と文化勲章を贈られています。

それからNHKの朝の連続テレビ小説で、牧野富太郎をモデルにした作品が制作されることが決定しています。
2023年公開予定の「らんまん」で、俳優の神木隆之介が主演を務めます。
妻である寿衛子の役は女優の浜辺美波が抜擢されました。牧野の出身地である高知県では、スエコザサを使ったお酒も造られています。

植物に愛する人の名前を付けた例としては、シーボルトがアジサイにオタクサと名付けたことが有名です。
シーボルトはドイツ生まれの医師で、植物学者でもありました。
オタクサは、お滝という女性から名づけられたものです。シーボルトが日本にやってきた時、お滝と出会い恋に落ちました。二人の間には娘も生まれています。
実はそれを突き止めたのも牧野富太郎といわれています。

スエコザサの例文(英例文も併記)

  1. 上野動物園にいるパンダがスエコザサを食べています。
    Pandas at the Ueno Zoo eat sueko-zasa.

まとめ

今回は、「スエコザサ」という言葉の紹介と、その使い方の例文をご紹介しました。
この記事がお役に立てれば幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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