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九州の語源と由来、例文、英例文

この記事では、「九州」の語源や由来について解説しています。
語源に関する様々な説を紹介するとともに、例文や英語例文(日本語訳付き)も紹介します。
そのため、「九州」という言葉に興味がある方は、ぜひ本記事を読んでみてください。

運営者(とみちゃん)

熊本県生まれ。国立高専→国立大学院(情報工学修士)。当時は小さなベンチャー企業2社(現東証プライム市場上場 アカツキ、現JASDAQ市場上場 Speee)、時価総額数兆円規模の大手企業にてエンジニア・インターンシップを経験。Speeeの開発インターンシップ evolution (上級編) にて優勝し、Speee賞を受賞。大学院では、国内最大級のシンポジウムである「情報処理学会 DICOMO2014」にて最優秀プレゼンテーション賞・優秀論文賞を、ワークショップでは「情報処理学会 DPSWS」にて優秀ポスター賞を受賞。その後、大手企業本体の研究所でソフトウェアの研究開発職として従事し、ソフトウェアの上レイヤー~低レイヤーの幅広い開発経験を積み上げる。離婚を経験し、精神的苦痛を和らげるために横浜市から熊本市を電動アシスト付き自転車で走破(1,350km、総日数11日、内雨天時の2日は休憩日)。その後精神面が回復し、現在は子会社の役員室に所属し全社のDXを加速させる仕事に従事しつつ、複数のブログを運営中。

目次

九州の語源と由来

日本は本州を中心に様々な島がありますが、その中でも北海道と九州そして四国は島と言う事は大き過ぎるかもしれません。
これらは、それぞれが独立していたわけですが、現在は日本の1つとして数えられています。
もっとも、1000年以上前から九州地方や北海道などを日本と考えられていました。
行く北海道に関しては、もともとアイヌ民族の国と言われており、日本が侵略したと言われていますが、事実はその逆になります。
アイヌと言うのは資料で言えば8世紀から10世紀位に入ってきたと言われており、北の方からやってきた民族になります。
実はそれ以前から日本人が住んでおり、いわゆる大和民族は北海道に住んでいたと言われているほどです。

なぜそのようなことが言えるかと言えば、北海道自体は縄文土器や縄文の竪穴式住居などが発掘されていることから、縄文人がいたのは間違いありません。
そうすると北海道ももともとは日本の1部であり、間違えても江戸時代に江戸幕府が侵略したと言う歴史を信じてはいけないところです。

九州に関しては、特に日本かどうかと言う歴史上の争いなどもほぼありません。
中にはそのような説を唱える人がいるかもしれませんが、間違いなく日本と言えるでしょう。
邪馬台国を奈良県にあったか西の方のどこかにあったかと言う争いがあることで、それぐらい古い時代から既にこの地域は日本として意識されていたわけです。
もともと北海道などと異なり、本州からすぐそばにありますので、現代のように飛行機を鉄道がないときであっても、往復するのはそれほど難しくありませんでした。

この点に関して、なぜ都道府県が7個しかないのに九州と言う名前なのかと言う由来を知りたい人もいるかもしれません。
確かに7種類しか都道府県がないにもかかわらず、なぜ9つなのかと言う疑問が生じても仕方がないでしょう。
その起源を見ていくと、もともとは国が9つあったことから現在でもそのように呼ばれています。
いつから呼ばれているか明確ではないものの、9つの国ができたのは今から1300年ほど前の話です。
奈良時代に律令制度と呼ばれるものがあり、その律令制度によってできたのが筑前屋筑後あるいは薩摩といった9つの国になります。

語源に関してはこのようになっていますが、これは実はずいぶんと長い歴史があります。
少なくとも、現在のように都道府県ができた歴史に比べると何十倍も長いと言って良いでしょう。
ちなみに都道府県ができたのは、廃藩置県が行われた後になりますので、明治時代の初期頃です。
西南戦争の時も、鹿児島県と言う言い方をしていましたので、当時はすでに薩摩の国と言う言い方をせず都道府県の1つとして扱われていたことがわかるでしょう。
同じく、それ以外の地域でもすでに都道府県が浸透していましたが、そのように考えると明治時代からスタートすれば100年ちょっとの歴史があると言われており、逆に筑前屋筑後などの国は長く年代から1800年代までありましたのでおよそ900年の歴史があります。
考察を比べただけど、ずいぶんと歴史に違いがあることが認識できるかもしれません。

9つの国があったと言う言い方をしていますが、なぜ日本の中に国があったのか疑問に思う人もいるかもしれません。
昔は現在と異なり、日本と言う1つの国でありながらそれぞれ独立していたわけです。
例えば現在で言えば、鹿児島県が1つの国として独立しているような感じと言えるでしょう。
もちろん天皇を中心にまとまっていましたので、1つの国が反乱を起こすと言う事はほとんどありませんでした。
鹿児島県にだってから明治時代に起こった西南戦争等は、士族を起こしたと言われていますが鹿児島県全体が反乱を起こしたと言うよりも鹿児島県のいた士族である西郷隆盛などが反乱を起こしたに過ぎません。

概ね歴史の変わり目と言うのは、何かと反乱が起きるような雰囲気があります。
西南戦争も、江戸時代から明治時代に香織、そこに住んでいた人たちの不満が爆発して、起きたと言われていることです。

一つ一つの国が独立していたと言うことで、実際に面白い事例があるとすれば薩英戦争などがその1つと言えるでしょう。
薩英戦争と言うのは、イギリスと九州の薩摩の国が戦った戦争になります。
日本全体で戦うのではなく、1つの都道府県と1つの国が戦うと言う構図で、実際にその戦いでも薩摩藩は負けていませんでした。
たまたま薩摩藩が撃った大砲の1つが相手の指揮官がいる船に当たり相手の国は撤退していったと言われていますが、実際に都道府県と国が戦うと言うのは面白い構図といえます。
仮に都道府県が負けたとしても、別の都道府県が再びイギリスと戦うことになるかもしれません。

このように、一昔前は非常に独立心のつよい人たちが多かったわけですが、明治時代になるとそれがなくなり国と言う概念が消え去ったと言えるでしょう。
このように、古来は国がたくさん存在しており、9つの国があった地域として現在の九州は開いています。

九州の例文(英例文も併記)

  1. 私は九州出身です。
    I am from Kyushu.

まとめ

今回は、「九州」という言葉の紹介と、その使い方の例文をご紹介しました。
この記事がお役に立てれば幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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